一関藩藩主田村右京太夫の上屋敷跡
都営三田線の御成門駅から西へいったところが、一関藩(現在の岩手県内)藩主田村右京太夫の上屋敷跡。現在は、多数のオフィスビルが立ち並ぶが、ここは播州赤穂藩藩主浅野内匠頭長矩が切腹したところ。
元禄14(1701)年、江戸城松之廊下にて、高家筆頭吉良上野介義央(よしなか)に刃傷に及んだ勅使接待役浅野内匠頭長矩は即日切腹の沙汰となり、「風さそふ花よりもなほ我はまた 春の名残を如何にとやせむ」と詠んで果てた。
当時の武家法では、喧嘩両成敗が原則のところ、吉良家には何らの咎めも受けず、しかも、播州赤穂浅野家は後に廃絶となったことから、赤穂浪士による討ち入りを招く。