金王八幡宮
渋谷発祥の由来ともなった神社。現在の境内は、渋谷氏の祖となった河崎基家の屋敷(城)があった所とされ、八幡宮も基家によって寛治6(1092)年に創建されたと伝えられている。渋谷という現在は若者の集まる流行の最先端の地にあって、古(いにしえ)を伝えていると言えよう。この辺りは、東に鎌倉街道、西に渋谷川、北東に黒鍬谷があるという天然の要害であったことも渋谷一族が城を構えた要因という。長らく、渋谷氏の統治するところだったものの、大永4(1524)年に後北条・上杉両軍の戦闘の際に、後北条軍によって焼き討ちに遭う。時代は下って、徳川家光が第3代将軍に決定したことを感謝して、守役の青山忠俊と春日局が慶長17(1612)に荒廃していた八幡宮の再造営を開始。その後も度々修繕がなされてはいるが、山門は明和6(1769)年あるいは享和元(1801)年のものとされている。