園城寺(三井寺)
新羅善神堂
天台宗、長等山園城寺。天智、天武、持統の三帝が産湯として使った井戸(閼伽井屋)があることから三井寺とも呼ばれる古刹。壬申の乱(672年)で敗れた弘文帝(死後追号、大友皇子)の皇子である大友与多王が追善のために開基。その後、廃れた寺勢を祖智証大師円珍が延暦寺別院として中興した。この時に、三部灌頂の儀式の法水に閼伽井屋を利用し御井としたのが三井寺の名称の始まりという伝承もある。
もともと、古代豪族の砦の跡とも考えられているものの、周囲を囲む石垣などは円珍死後の比叡山円仁派(山内派)と円珍派(寺門派)との抗争の歴史によるもの。古来、清和源氏との繋がりもあったことから南北朝時代には全山焼き討ちにも遭っている。新羅善神堂は1347年建造と山内最古の姿を今に伝える。金堂は、豊臣秀吉正室北政所が慶長4(1599)年に再建。
[国宝]金堂、新羅善神堂、光浄院客殿、観学院客殿、紙本墨画五部心観、木像新羅明神坐像
[重要文化財]仁王門、閼伽井屋、三重塔、経堂、食堂(じきどう)、毘沙門堂、大師堂・唐門・灌頂堂・四脚門の唐院など
[交通]京阪電鉄石坂線浜大津駅で下車、京阪バスに乗り三井寺へ