中尊寺
金色堂
金色堂は覆堂の中にあり、このスケッチのように見ることは出来ない。
天台宗、関山中尊寺。
陸奥の名刹。自覚大師円仁が開いたとされる弘台寿院(850年開山)を前身とする。後三年の役(1087年)の論功行賞で陸奥押領使に任ぜられた藤原清衡によって中興され中尊寺(天治3[1126]年)となる。建造に21年という長い年月を費やした清衡中興時、堂塔40、僧坊300と言われる威容を誇った。覆堂の中に守られた金色堂は藤原氏の手による平泉文化の象徴。三間四方の宝形造の面を黒漆で堅め、その上から金箔をおしている。京文化を模倣しつつも、見事にそれを超越している。
内部は奥州藤原氏の廟所となっており、阿弥陀三尊など11体の仏像の下に清衡、基衡、秀衡の三代のミイラと泰衡の首級が安置されている。
[国宝]金色堂内具、螺鈿八角須弥壇、紺紙金字一切経、孔雀文磬
[重要文化財]経蔵、旧覆堂、金銅千手観音像御正躰など
[交通]東北本線平泉駅下車、バスに乗り換え中尊寺へ