波多野城跡(秦野)

波多野氏は、源氏の譜代中の譜代の一族。平治の乱の後に平家方に与し、源 頼朝の挙兵にも応じなかったために、波多野義常は所領を没収されるはずだった。しかし、1169(嘉応元)年に叔父の義景が惣領となったことで本領を保った。そして、有経の代にほぼ旧領を回復。中学校と城跡との間には旧河床を利用した空堀が見事な形で残っている。西側には金目川が流れ堀の代わりとなっている。ちなみに、この波多野氏からは永平寺を創立した越前波多野氏、明智光秀と戦った丹波波多野氏、豊後の大友氏が出ている。また、西に1キロほどの田原ふるさと公園にある実朝の首塚の南側にも居館跡が確認されている。

[参照]波多野義常、山内首藤経俊応ぜず


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