天平クラシシスム

日本美術を代表する古典的な作品が生み出された時代。飛鳥白鳳時代の彫像が杏仁形の目と細長い顔立ちを特徴としていたのに対して、極めて写実的な表現が見られるようになっていった。笑みの表現もぎこちないアルカイックスマイルから豊かな表情を伴ったものになったし、左右対称だった衣紋形状も変わっていった。その始まりは白鳳時代の当麻寺の『四天王像』に既に萌芽があり、興福寺の『八部衆像』『十大弟子像』の作者である将軍万福で本格化し、東大寺三月堂の『日光菩薩像』『月光菩薩像』の作者である国中連公麻呂に至って頂点に達した。

This page is powered by Blogger. Isn't yours?