東本願寺
京都の駅を降りると目に飛び込んでくるのが東本願寺。反対側に位置しているのが西本願寺。本願寺は、東山の大谷にあった親鸞上人(1173-1262)の御影堂に起源を持っている。親鸞上人の娘の覚信尼が御影堂を守り、曾孫の覚如上人(1270-1351)の代に本願寺と名乗った。しかし、蓮如上人(1415-1499)の代に比叡山延暦寺の衆徒によって大谷の本願寺は打ち壊されてしまう。本願寺は蓮如とともに越前吉崎、京都山科、大阪石山へと移転を繰り返す。顕如上人(1543-1592)の代に、石山本願寺は織田信長と衝突。11年に及ぶ石山合戦を繰り広げるが、顕如上人は犠牲者が増えるのを憂いて和議を受け入れ石山本願寺から紀州鷺森に退く。ところが、顕如上人の子の教如上人(1558-1614)は父と行動を共にせずなおも織田信長に対して抵抗を続けた。結局、石山本願寺は織田信長によって陥落。その矢先、織田信長は本能寺で明智光秀に討たれてしまう。結果、豊臣秀吉が顕如上人に京都七条堀川の地を与えて本願寺が再興される。これが西本願寺。その西本願寺を教如上人が承継するも、豊臣秀吉が、かつて主君の織田信長に対して徹底抗戦を挑んだ教如上人を嫌って弟の准如上人への譲位を強制する。その後、東本願寺は1602(慶長7)年に徳川家康の寄進によって、第12代教如上人が西本願寺から別れた。
2003.11訪問